ミラーセルフィー。

Publié par PALETTEartalive le

ブログに書くだなんて、言わなきゃ良かった。思いがけない重責を自分に課してしまって、天井の隅を見上げる始末。わりかし早筆で売ってきたのだが、どうやら撤回する必要があるみたいだ。
 
ことに、もうひとつの僕の前言撤回を許さなかった河村さん(以下、よしまさ)とはじめて出会った——というよりも彼を見かけたのは、「M A S U」のショールームでした。ブランドスタッフとの話がはずみ、思いのほか長居してしまった僕は、彼らのアポイントメントの時間まで滞在してしまっていたのです。デザイナーの言葉にじっと耳を傾ける彼らは、牛歩のごとくラックの脇を進み、何度も何度も試着を繰り返し、一着一着が含有する服のなんらかの質感を確かめているよう。知識に腰掛けず、誰でもなく、自身が袖を通して感情がどう動くのかを実験している、とでも喩えられるかもしれません。今思えば、それがデザイナーズブランドのコレクションと対峙する、「パレットアートアライヴ」の基本となる姿勢なのだろうと感じます。
 
そんな光景を遠目から覗き見していた自分の口からこぼれた「似合ってるなあ」という言葉を、もれなく拾い上げたプレス担当のKさんが深く頷いたことを今でも覚えています。その夜、なんのかんのでキャッチアップすることになって、「M A S U」のチームを交え、初対面なのにも関わらず随分と深酒したように記憶しています。
 
大阪と東京というのは、決して近くはないですが、遠くもない。よしまさは、バイイングや打ち合わせ、ショーに出席するために東京を訪ねてくるたびに、ラインの一本を送ってきてくれます。ものはタイミング。機会を逃すことも多々あれど、さほど長くはない期間に、色々なことを話してきました。仕事を通したコミュニケーションも数回ほどありましたね。幸運なことに、彼の情熱にほだされ、鼓舞されることさえありました。
 
ぐんと話題を変えますが、ある日、よしまさから仰々しいトーンで連絡があったのです。それが、今回、お手伝いすることになった10周年の企画に関することでした。その後すぐに東京にやってきた彼は、お店のアニバーサリーをいかに祝福するのかということ以上に、顧客の皆さん、あるいは、これまでとこれからのお客さんのこと、お店が歩んでいきたい未来についてを熱心に語り、取り引きのあるブランドとのシークレットなプロジェクトの詳細を興奮気味に話していました。想像するだけでソワソワとしてしまいますが、13のブランドと、エクスクルーシブなアイテムを制作するというのは並大抵なことではありません。デザイナーのアティチュードを汲み上げながら、ブランドの絶大な協力を仰ぐ必要も、パレットにふさわしいアイテムというゴールに辿り着く必要もある。きっと粉骨砕身の覚悟で奔走した、よしまさと、名古屋の佐子田くんをはじめ、スタッフの皆さんの姿は、勇ましくもありました。
 
企画の全貌はまだまだ具体像にはなっていませんでしたが、僕はプロジェクトに参加することを決め、1年以上の月日の中でああだこうだを繰り返しながら、よしまさを中心にやりとりを積み重ねていき、撮影は、東京で敢行されることが決まりました。信頼するクリエイターらを招き、13名のモデルが出演。ZINEという自由なフォーマットの中に落とし込まれていきました。
 
さて、こういうことは表立っていうこともないのですが、きっとこのテキストは、何らかをもっと知ろうという欲求人たちが読者であるに違いありません。エピソードトークばかりでは飽きるってものです。このビジュアルとZINE、ポスターにまつわるいきさつについて足早に書き残しておこうと思います。
 
発想の始まりは、当然パレット、もっと言えばよしまさでした。あの時の「似合ってる」の感覚が、僕の脳裏に蘇ってきたのです。これはとても大切なことでした。そして、さらに具体的にいうと、お店の鏡で自撮りする皆さんの姿でした。
 
スマホを全身鏡に向け、自身の姿を撮る。きっと、自分にとって「いい感じ」で「似合っている」から。ポーズをする人もいれば、顔を隠す人もいる。それぞれの方法があるのでしょう。店のスタッフや友人とともに写っているものも発見しました。このミラーセルフィーが名物、なのかはいざ知らず、近くて遠くにいる僕からすると、それがパレットの日常のワンシーンなのだろうと想像したのです。写真にあるのは、試着をしてか、購入をしてか、新しいワードローブを模索したり、ファッションの新しい扉に手をかける、アグレッシブでポジティブで、なんだか羨ましくなる姿でした。
 
その一方、どうにも皮肉屋な僕は、スマホのディスプレイではなく、そのスマホそのものを手に持つ「あなた自身」について興味が湧いてきたのでした。インターネットの海を支配するアルゴリズムや常套手段に流されず、店に赴き、スタッフとの対話のなかに手がかりを発見しては、自分のための服や着方を見つけ出そうとしている人々のことです。これは、インディペンデントに、自分たちらしいセレクトショップのあり方を前進させる「パレットアートアライヴ」と、その場を訪ねる人々のことについて何度も耳にしてきたから想起したに違いありません。僕は勝手に、服を着替え、スマホで鏡を通し、自分をいかに撮るかとひと手間もふた手間もかけている行為を通して、彼や彼女が、その人の内側にいる自分自身——誰に気を使うこともなく正直で、嘘がつけない、もっとも親しい親友である自己——と対話をしているようなイメージが湧いてきました。事実かどうかはわかりませんが——なんて小難しいことは言っているのやら……。たとえば、「これは自分に似合っている?」「うん、いい感じ」と、自問自答しているように思えたのです。他人の目というのは、どんな場所でも気になるものですが、あくまで自分のためというのが良い。どういう自分であろうとするか、という疑問を持っている人にしかできないことでもあるからです。ファッションのリアリティとは、ひとつの側面でしかなくとも、たったひとつとして確実に、そのおぼつかないマインドに寄り添うことができるはずなのです。
 
そうして「もっとも信頼する他人である、自分」というひねくれもののアイデアが、ぼんやりとテーマとして浮き上がり、パレット、ひいてはよしまさたちが信じている個性やインディペンデントの力を引き出しながらビジュアライズすることが、僕のアンサーとなっていきました。ビジュアルにおいては、ブランドをまたいでモデルを起用しないこと、ZINEという紙媒体の中でもっとも自由度がひらかれているメディアを活用すること、あるいは、必然的だったとはいえ、最低限の背景で、最小限のレイアウトによってその人自身が自立して存在しているように見えること——あげればキリがなさそうですが、こうしたことに結びつきながら、こんな話をしてもしなくても、直感的にかっこいいと思ってもらえるものを目指すことができたのではないかと確信しています。そして、更なる11年目の先に向かう足がかりの一助となれたのなら最高です。すべては関係各位のおかげです。どうもありがとうございました。
 
そうですね、鏡の位置は変えないようにお願いします。慣れない自撮りでもしてみたかったのですが、0924イベントの翌日にその前に立ってみると照れくさくなってしまったのです。またとない鮮烈な萌芽を感じさせる、素晴らしいイベントでした。10周年、おめでとうございます。
     
tatsuya yamaguchi

  大井町の駅前の写真    イベントの翌日の山口さんと僕の写真

 

 
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